病弱な周瑜について書きたいと思います〜。(^ー^)
まず、彼について簡単に説明しましょう〜。
字は公瑾。三国志の英雄。美周朗と称された。
孫権の兄・孫策とは義兄弟の誓いを立てた間柄。
赤壁の戦いでは孫権に徹底抗戦を主張して、
ついに開戦に踏み切らせた。
この戦いで見事、曹操軍に勝利する。
36歳の若さでこの世を去った。
<はてなダイアリーより>
で、36で亡くなってしまった周瑜ですが
原因は江陵を攻めた時に受けた毒矢からの病気とされています。
三國無双でもちょっと頬が痩けた感じで
病弱な雰囲気が出ていますね。
(3よりも4の方が痩せている気がするんですが
気のせいですか?(^^;))
で、正史ではその後
蜀を取りに行こうとして死んでしまう訳ですが
演義の方では、この美貌で病弱な周瑜の為に様々な
美しく

まず、戦場で矢傷(毒矢)を負った周瑜の元にやってきた
美しい周瑜を『この死に損ない!』と罵ります。
それに怒った周瑜は藩璋(ハンショウ)に出馬を命じ、
その直後、
あっと一声叫び血を吐き落馬した。

…流石、美周郎。
血を吐くだけではなく落馬までやってのけるとは…。
絵になります。(笑)
んで次に、南郡とその他の土地を孔明が奪ったと聞いて
美しく気を失う。

もういっちょ、
劉備を孫夫人(孫尚香)を輿入れさせると言って
劉備を誘い出し殺そうとしたが
上手く逃げられ美しく失神。

で、その後周瑜は
劉備のため益州を攻めると見せかけて
実は荊州を攻める作戦に出たが孔明はその計略を見抜いており
その孔明から手紙が届く、
「周瑜殿、益州を取るおつもりのようだが、益州は要害。
そう簡単にはいかないと思われます。
曹操は赤壁の恨みがあるから、攻めてくるでしょう。
まことによい謀りごととは思われません。
ぜひよくご賢察ください」
この手紙を読んだ周瑜は天を仰いで
「天はこの世に周瑜を生みながら、
なぜ諸葛亮をも生んだのだ!」
と繰り返し叫びついに息絶える。

ん〜、やっぱりこの最期の言葉はきいているね。(^^;)
演義ベースで紹介しましたが
周瑜はとっても絵になる様に書かれています。
それにしても倒れ過ぎですよね。(笑)
演義ではこんなに倒れてばっかりなのかと笑えました。(コラ)
それなら三國無双でも2、3倒れるシーンがあっても
いい様なものを…。(笑)
しかし、周瑜を好きな方はこんな彼も好きなんでしょうか?
いや、こんな彼だから好きなのかな?
気になる所ですが
私はやっぱり小喬の料理のせいで
死期を早めたと思っていたり。(爆)
正史での彼は穏やかな性格の持ち主で度量も大きかったと記されています。
勘違いなきように。(^^;)


<参考文献>