幸村に縁のある三光神社に行ってまいりました。
この神社は一応、浪速七福神の一つ寿老神を祭る神社らしいですが、
真田幸村の『真田丸』跡地としても有名なのです。
(そうじゃなければ、わざわざ行きません)(←罰当たりですね。すみません;)
そして、この神社の最大の見所は、
大阪城とつながっていたとされる真田の抜け穴では、ないでしょうか。
(近くに公園があり子供達が周りにいたので、あくまで静かに参拝。しかし、変な人には見られていたっぽい;)
画像をみていただいたら分かると思いますが、
抜け穴には一応、穴に入らないように檻みたいな物があります。(その檻には真田の六文銭があしらわれていました)
しかし、その檻の周りには柵とかないので触り放題です。
興奮中の私は、檻に触りまくり、まるで動物園のゴリラ状態(笑)
(↑あ、これを見られてたから子供達に変な人に見られてたのか!)
檻をぶちやぶって本当に大阪城まで続いてるのか、検証しようとしてましたから。
しかし、そんな事は出来ないので、
次は幸村像に会いにいきました。
…やっぱり、銅像はおじさんでした。(笑)
しかし、戦国無双の幸村と変わらず凛々しかったです。
銅像にも触りたかったんですが。(写真には見えてないんですが)植木が邪魔で足しか触れませんでした。
なんだったら、抱きつきたかったんですが(^3^)おみ足だけでも満足です♪
帰りには境内に行って、賽銭箱に六円を入れてきっちりお願い事を頼んできました。
今日は有意義な一日でした〜。
三光神社は、古くは月日山神社、後に社地を姫山と呼んだことから姫山神社、明治以後宰相山神社また姫山神社に戻り明治41年境内の全国唯一の中風除けの神、三光宮を合祀してより三光神社と呼ばれるようになった。毎年6月1日から7日まで中風祈願大祭が行われ、全国各地から多くの参拝者が訪れる。
また、古くから三光神社の地に真田の抜け穴の話が伝えられている。慶長元和の大阪の合戦の頃、真田幸村がこの地に偃月城と名付ける塁を築き、大阪城まで通じる暗道を造ったと言い伝えられており、今も「真田の抜け穴」として保存されている。
戦国時代の史跡が近くにあってうらやましいです。僕の住んでるところの近くは何にも無くて…(古墳群くらいです)。
古墳群くらいですか(^^;)でも、私の地元もそんな感じですよ!弥生時代の遺跡があったりとか。しかし私自身、弥生時代には余り興味はないので見に行く事もありませんが…。(笑)
これからも、色々な史跡を巡ってみたいです。まずは、近場の大阪から!(^∀^)